【3.11】あれから8年、関東在住の私が思うこと
こんばんは、27歳OLです。
3.11とYahoo!で検索すると復興支援のために10円が寄付されるようですね。
あの当時、私は大学生で、怪我をしてバイトも休ませてもらっている時期だったので、家にいました。
関東在住だけれど、かなり揺れたのでただ事じゃないと感じ、避難したほうがよいのではないかと思った。
余震もすごく怖かった。
計画停電も、怪我で精神的に辛い時期だったからか、かなり苦痛に感じた。
寝ているしかないと思って布団に入るが、全然眠れもしなかった。
なんとなく、世間がとてもマイナスなエネルギーになっている気がした。
計画停電でさえ苦痛に感じていた私は「結局は自分のことしか考えていない私」ということに気付いてもいたので、同時に罪悪感も感じていた。
怪我も治り、震災から1年後、一年半後と2度、宮城にボランティアに行った。
初めて訪れた宮城は出島という島で、家を建てるボランティアに参加させてもらった。
現地の人たちがとても優しくて、おいしい物たくさん食べさせてくれて、明るくて、元気で、なんか久々に合った田舎の親戚に歓迎されたような感じで。
当時のことを語るのも、明るく話してくれた。
「こんなことで、私らは負けない」そういった気持ちを地域一丸で持っていて、
「どうにかしてやる」というような前向きでポジティブなエネルギーに満ち溢れていて、とても生き生きしていた。
だから、自然と集中できて、夢中になって動いた。
疲れるどころか、明るいパワーに触れてたからか精神面まで元気になれた。
人ってつよい。
そして、元気ってパワーがすごい。
人が元気で明るくいるだけで、その地域や周りまでポジティブな良い‘気’みたいなのが伝わる。
だから、その土地の自然の景色もとってもきれいだった。
被災された景色をみても、何が起こったか想像することはできなかった。
想像しようとして、理解したつもりでも、自分は体験していないし、見たことない分、恐ろしい状況を映像としてイメージできなかった。
そんな宮城滞在中、地震が起こった。
真夜中だったが、とても揺れたので起きた。
海が近かったから、このまま死ぬ可能性もあると瞬時に感じ、隣に寝ていて、先ほどまで楽しく話していた数人の友人とも、今後逃げる中で別れてしまうかもしれないとか、親は心配するだろうなとかいろんな考えが一瞬のうちに駆け巡り、避難する様子まで映像として浮かんだ。
自分に危険が迫ると、いろんなことが瞬時に想像がつく。
無事に一夜明けて、朝になったら、あれだけ一瞬怖い思いをしたのに、もう忘れていることに気付いた。
復興支援は自分の出来る範囲でしていきたいと思っている。
「前向きなポジティブさ」をもって生きること、これって重要なんじゃないかなと思う。
大きいことでなくても日本中、皆がベースにそういう気持ちを持つことで、私が出島で感じたように、日本全体を明るいエネルギーみたいなもので元気にしていければなと思う。